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根本には自身の不安を認めたくない、自身の不安を正当化したいというのがあるんだろうな。 そもそも人は一度心身不安に感じたことを後になって「大丈夫だ」と指摘されたとしても、それにすぐに身体がついてくるわけではない。 いかに科学的に説明され理屈では納得できても、やっぱり得体の知れない不安感が自身の中にしばらく残る。 私も地元の自治体も含めて各ホームページで地元の数値を見ているけど不安が全く無い、といえば嘘になる。基準値とか理屈では分かっていても何かのきっかけでふと不安に思うことはある。

 そして、多かれ少なかれ自分にこうした「得体の知れない不安」「解決されたはずの不安」が残っていることに罪悪感や嫌悪感を抱いてしまう。 ちゃんと説明されているのに納得しない、理解ができていない自分が許せないというか、認めたくないというか…。 私の経験に過ぎないけれども、勉強ができていない人間よりは勉強ができる人間ほどこの傾向が強く、自分を追いつめていく傾向にあったように思う。

 こうしたこと恐怖と嫌悪から逃れるための一つが「そもそも『大丈夫だ』ということこそ間違っているのだ」という反応なのかもしれない。 目的が一刻も早くこうした自身の不安を除去することだから、根拠は受け売りのハリボテに過ぎない。ハリボテに過ぎないから維持にやっきになる。維持にやっきになるからじっくり論を深めるよりは、てっとり早く騒ぎ立て周囲を巻き込む。

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反原発差別主義者が福島県民を排斥する実例 - Togetter